ダウン症聞くまっしシステムについて


診断告知に関するアンケ−ト調査の結果報告
 第6日本ダウン症フォ−ラム2001 in 金沢実行委員会
「こどもの発達を考えるあのねの会」
はじめに
ダウン症フォ−ラムが北陸の金沢で行われることになり、この機会に医療従事者の方々に、診断告知を受けた時の親の気持ちを知ってもらい、医療従事者の方達からも、意見や思いを返してもらいたい、という目的で、アンケ−ト調査を行うことになりました。
石川県だけでなく、北陸三県のダウン症やその他の障害をもつこどもさんの親の会の方々に広く協力して頂き、まず診断告知の実態を知ることを目的に行いました。
この結果をフォ−ラム開催中に展示し、参加された、医療従事者の方々から感想を伺う予定にしています。
このアンケ−トは、金沢のダウン症児の親の会「あのねの会」のお母さん、お父さん達が中心に作成され、また、平成8年に京都ダウン症児を育てる親の会の方達が行われたアンケ−トに作成され、また、平成8年に京都ダウン症児を育てる親の会の方達が行われたアンケ−ト調査の質問項目も参考にさせて頂きました。
今回のアンケ−トはインタ−ネットでも広く協力を呼びかけており、全国から多くの回答を頂いておりますが、ここでは郵送法で行った、北陸三県の結果について報告致します。
(アンケ−トは350通郵送し、140通の回答を得ました。回収率約40%)
今回のアンケ−トの質問項目は16項目。
できるだけ多くの親の方々の生の声を出して頂きたいと考え、気持ちが伝わりやすい記述で書いて頂くところが多くなりました。ここでは、全てのご意見を記載することができないので残念ですが、後日、京都の方々がまとめられたような回答集を作成したいと考えております。
今回のまとめについては、
1.診断告知を受けた時期
2.診断告知を受けた時の両親の気持ち
3.両親は、どのような告知を望んでいるか
4.病院への不満はどのようなものがあるのか
5.こどもさんの障害について祖父母にすぐに話したかどうか
6.子供に障害があるとわかったショックから立ち直るきっかけはあったか、などについての結果を集計してみました。
集計結果
 
1.アンケ−トに答えてくださった方の、子どもさんんとの関係と住んでいる地域
 グラフ1
 1)アンケ−トの回答者は母親が130名、父親が11名と母親からの回答が多かった。
2)地域別では、図1)の通り、石川県54名(39%)、
富山県が45名(32%)、福井県が41名(29%)であった。
富山県や福井県の親の会の方達の協力で、
県別で大きな偏りはなく北陸三県の結果として、妥当な割合で回答があったと考えられる。
 2.お子さんは何人で、障害を持つ子どもさんは第何子ですか? 
表2 






 
図3  
3.お子さんの障害名は? 
 図4   
 5p-など
その他の染色体異常
その他の障害
ルビンシュタイン−タイビイ症候群
ドボビッツ症候群
脳性まひ
自閉症
てんかん
その他の障害など
4.お子さんの性別と年齢および出産したところ(どこで出産されましたか?)
 図5
 性別では、男の子が87名(62%)、女の子50名(36%)、記載なし3名(2%)であった。
 図6
 子供の年齢は、15才以下が92%であった。北陸3県の親の会のメンバ−の子供さんで、16才以上の子供さんを持つ人は、まだ少ない。
京都のアンケ−トの対象も、15才以下の割合が高く89%であったことから、よく似た対象であると考えられる。
 図7
 出産した病院については、総合病院が63人(45%)、個人病院が76人(54%)、その他(助産院)が1名(1%)であった。
出産した場所によって告知の時期に違いはなかったが、告知を告げられたのは、産婦人科医というのが多かったのは、個人病院であった。
5.いつ子どもさんの障害について知らされましたか? 
 図8
 告知の時期については、障害の内容によって、告知の時期が異なるため、「その他の障害」を除いて、ダウン症の方のみ(計120名)で集計しました。
 図9
告知を受けた時期は、夫と妻で少し異なっていた。(図8)は、京都のアンケ−トの集計と同じ期間で分類したものである。最初の1週間以内に告知を受けたという人は全体の45%、妻よりも夫が多く、1ヶ月以内には75%の親に知らされており、妻の方が多くなっていた。
これらの日数をもう少し詳しく分類したものが図9であるが、(これは、北九州の武田先生らの分類を参考)特に出産当日や2日以内に夫に告げられ、妻には1週間以後が多くなっている。長い人は、1ヶ月以上後に告知されている人も30人以上と多かった。
6.最初に診断名を告げられたのは誰からでしたか? 
 図10


診断を告げたのは、小児科医が最も多く、81人(58%)、次いで産婦人科医で35人(25%)であった。
産婦人科医から、ダウン症の疑いと言われ、ダウン症についての説明を受けた人は産婦人科から告げられたとして、集計した。
誰が、最初に告知を受けたか、については、夫婦で54人(39%)、夫43人(31%)、妻41人(29%)、その他2人(1%)(妻と妻の母の2人で、夫婦と妻の両親で)まだ、夫婦一緒に診断告知されるというのは4割で、夫が最初にダウン症の告知を受けることが多かったり、また妻だけに告知される場合があるという結果だった。
7.どのような内容の告知でしたか(記述で)
告知の内容ははっきりとした、傾向はみていないが、全体的にマイナスイメ−ジの告知が多かったように思われた。福井県の方々からのアンケ−トでは、療育センタ−の小児科医の告知に満足されているという意見が多かった。一般的に小児科よりも産婦人科医の説明で、昔の情報である「短命、普通の学校には行けない」などの告知が多いように思われた。
*以下は実際のアンケ−トからの言葉です
・「たいへん言いにくいのですが・・」からはじまり、それから私は何を聞いたのかおぼえていません。
・いきなり部屋に来て「どうも赤ちゃんに異常があるみたいだから、大きい病院へいった方がいい・・。とブツブツ独り言を言うように、私の顔をみず、しゃべったかと思うと去ろうとしたので、「異常って何ですか」と聞くと「ダウン症みたいや」と逃げるように言って歩いていった。
・普通の小児科医:「普通の学校へ行くのはむりかも・・」、療育センタ−の小児科の先生:「染色体の21番目が1本多いトリソミ−というダウン症という障害だけれど、みんな元気に育っていますよ。」と。そしてダウン症のお母さん方で作っている親の会を紹介された。また、ダウン症で、同じ年齢の子のお母さんも紹介された。
・ダウン症である。ダウン症は知的障害はあるが、性格はおだやかで可愛い。かわいがってあげてほしい。早期療育が望ましい。心雑音がある。療育機関と心臓専門の医師の紹介。
・知的障害児、寿命が短い、普通の学校は無理、(リハビリの事など、病気を治すという事は一切言われなかった。)
・ダウン症かもしれない。まあがんばって育てるように。(私にしか話してもらえず、私から頼み家族に話してもらいました。
・染色体異常です、知恵遅れになりますが、大学に行っている人もいますよと希望を持たせてくれた。その他に合併症があります。そちらの方が今心配ですよと言われた。
・医学的な説明を受けた後、ダウン症についての話を聞きました。普通の子供と同じなので、同じ様に育ててあげて下さいというような話だったと思います。
・歩くことも出来ないでしょう?とか、顔が似ていないでしょう、独特の顔つきです。とか、どのようになるか分からない1〜10まであって、軽ければ・・・・重ければ・・・という感じ。
・検査しないと正確とは言えないが、ダウン症にまず間違いない。知的障害と心臓の病気がともうが、ダウン症の子はとてもかわいくて、ボクは大好きだよ。
・産婦人科医が困った顔をして、染色体異常の疑いがあり、後日小児科医もしくは教授に診てもらい判断する。教授の判断で産婦人科にまちがいなくダウン症ですと言われた。
母親には産婦人科を退院するまでは告知をしないでほしいと言われ、最終的に医科大にて心臓の検査の時に血液検査を行い正式に告知してもらった。産婦人科医にダウン症の事についていろいろ聞いてみると、発達の遅れ、小学校ではなく養護学校への入学、特徴について目が細い、舌を出している、背が低く太っている、親と似ていない特徴的な顔、育てるのに苦労するなど、その他いろいろ。
8.その告知を受けてどう思いましたか?(妻)(記述で) 
・あまりのショックでよくおぼえていませんが短命であるとかいろいろいわれて何の希望も持たせて下さらなかったように思います
・はじめは信じられない、信じたくないという気持ちでいっぱいだった。自分の子供なのにまるで、他人の子供のような気持ちになることもあった。(2ヶ月ごろまで)
・どうして?うちの子が、しか言葉が出ず、一緒に死にたいと思った。
・なにがなんだかわからずただただ泣いていたように思う。なにか悪いことばかり言われたような記憶がある。
・はじめて死んでもいいと思った。
・告知の言い方がすごくいやだった。とても絶望させられる言い方だったし、ダウン症についての詳しい説明もなく、不安な思いでいっぱいになった。
・どうして白血病なのか、ダウン症なのか、悲しくてショックで涙が止まらなかった。そして知的障害がある我が子を(それは知っていた)受け入れられず、死んでほしいと思った。
障害児の親になって私も差別されるのはいやだった。そして、そんな気持ちをおさえきれずに、ないている自分をとても差別者で、くだらない人間だと思った。バケの皮がはがれていくのを自分で見ていて、落ちるところまで落ちるしかないと思った。
・最初、先生が言っていることの意味がわからなかったが、少しずつ理解し、だんだん血の気がなくなっていった。あの時ダンナさんが一緒でなかったら、ボーッとしてどうなっていたか、わからない。
・なんで母親である私だけが1ヶ月も何も知らされていなかったのか、という怒り。母親の心理面、体調を思んばかってのこととは聞いても納得できなかった。
・いい方にいい方に解釈できるような説明の仕方で、とてもどん底という風ではなかったのですが、「普通に育てればいいよ」という漠然としたところもあって、その時は本当に普通に育てようと思ってしまった。
・大変ショックでした。祖母(子供の)はこんな子は家の家系にはない、あなたの家のすじだとか言われ、落ち込みました。しかし、第一子が男の子、次の子が女の子で喜んでいたのに…しかし、近所に同じダウン症の女の子がいたのでその家の父母にいろいろなことを聞き、友達になり成長を見守ることの大切さを教わり育てる力がわきました。
・この先どうなるのかな?歩けるのかな?不安がいっぱいで・・・・どうして私の子がこんな事に・・・。おしゃれも出来ないのかな?どのくらいまで分かるのかな〜と泣き崩れ、とにかく愛しくかわいそうに思った。
・なぜ私にだけ告知したのか!
・なんか変だなと思っていたので、ダウン症という病気なのかと納得はしたけれど、将来がとても不安になった。でもすぐ手術がひかえていたので、とにかく命が助かってくれればとの願いが強くダウン症ということは二の次だったと思う。
9.告知を受けてどう思いましたか(夫)(記述で)
・大きなショックを受けました医師にダウン症に対する知識が少ない(障害児に対するものも)という感じを受けました。
・長生きできるのかな?と第一声は妻と同じでした。
・「ああそうなのか・・・」と思ったけど将来の不安はあまりありませんでした。(のんきだと妻は思っています)
・妻が自殺するのではないかと思った。
・出産したばかりで、まだ体調もおもわしくない妻に何で話したのか?まず夫である自分に先に告知してほしかったと思った。泣きじゃくる妻を見て医者に対する不信感とこの先どうやって妻を支えていこうかと考え込み、とにかくダウン症についての情報を集めた。
・こんなに小さいのに親の腕にも抱かれず、機械の中に居なければならないのがあわれだった。とんでもないお荷物を背負ってしまったと思ったが、もう返品というわけにもいかない。育てていくしかないと思った。
・ダウン症そのものを知らなかったので、最悪のことばかり思い巡らせていた。(ダウン症とは何かを知るまで、とても不安だった。)
・まず、知恵遅れになると言うのと短命というのを医学書で見て、途方に暮れ妻にどのように説明しようか悩みました。
・動転している妻を思いやる(支える)事しか考えていませんでしたので、告知自体に関しては特に記憶、感想はありません。私も、一緒の状況であったことは良かったと思います。
・医師の「かわいくて大好きだよ」と言ったのがただ1つの救いだったような気がしましたが、自分からどうやって妻に告知すべきか悩み、食事が全く食べられない日々が続きました。告知内容は悪くなかったと思う。
・なぜ妻にだけ告知したのか!
・ショックだったけど、生まれたときも、今でもずっと普通の子という気持ちでいます。
10.どんな告知がいいと思いますか?(記述で)
・まだ疑いの段階であっても、予測されること、予後などはある程度はっきりと言ってくれた方が、心構えができる。(しかも、早いうちがよい)
・あなたのお子さんはダウン症です。少しゆっくりと育つかもしれませんが、発育の仕方は他の子と変わりません。働きかけ次第で能力は伸ばすことが出来ます。とても素直でかわいらしい子なので、愛情をたっぷりかけて育てて下さい。ダウン症の会や、早期療育の情報も教えて下さると良いと思います。
・やはり初産か経産かで対応も違うと思いますが、その時の産婦の様子や、父親の性格的なものも考え、この告知の仕方がベストというものはない。
・今の医学では出産前にある程度のことはわかっているはずで、出産前に告知されても良かったと思います。
・ありのまま、そして、それぞれの育ち方があることをきちんと言って下されば私たちのようにショックは最少ですみました。
・この障害は自分達だけでなく、仲間が大勢いること、親のの会があること、将来どんな学校に通い、どんな風に育っていくのか、も新しい情報の中から伝えて欲しかった。
・夫婦揃っての場で言ってほしい。淡々と言われたのはこちらとしてはかえってよかった。
・とにかく、まず1人の子どもとして誕生を祝い、喜んでもらい、その上で特別な育て方が必要かもしれないということで、アドバイスや紹介をしてほしい。
・ショックが大きい時ですが、すぐに教えて欲しかったし、これからどうしたらいいのかということも入れて、親としての自覚というか、この子を育てていく上で母親の愛情が特に必要だということを言ってほしいと思う。
・「知恵遅れ」や「顔の違い」などばかりではなく、他の良い面をつでも言って欲しかったです。また、早期療育など、一生懸命頑張って育てていけば伸びる事も言って欲しいです。できれば母親一人ではなく、父親と一緒に告知を受けた方が良いと思います。
・妊娠時、(アメリカのように)検査後、ダウンです、と、どうしますか、と告知されたかった。
・どんな告知であっても内容は同じです。善し悪しは関係ありません。
・とにかく子供の障害について初めてきく親の気持ちを第一に考えて欲しい、(急に淡々ときびしい言葉ばかりをなげかけてほしくない)しばらくして親が落ち着いてから詳しいするなどしてほしい、また告知してハイおわりではなくその後のことを一緒に考えてもらえる安心感を与えてほしい(告知して「ハイオシマイサヨウナラ」というのはものすごく無責任。」
・ありのまま病状、障害、その他今後の身体的、精神的社会的リスクを正確に告知
11.病院の対応で不満に思ったことはありましたか? また言って欲しくない言葉や対応はありましたか?
 
 病院の対応で不満に思ったことが、あったという人は76人(54%)と半数以上であった。
京都の結果では、65%となっており、それよりも少ない結果であったが、内容は同じで、配慮不足や説明不足、差別的態度、知識のなさ、などであった。
*不満に思ったこと
・出産した方の病院の先生ですが、赤十字病院へ移されなかったらそのままダウン症だということを知らないままだったと思うんですけど・・。先生がわからないはずがないのに告知してくれなかった事、小児科の先生も検診に来ているにもかかわらず一言も言ってくれなかった。再び産婦人科に行くことがあり、ダウン症だったんですけどといったら「ああ、そうですか」だけで終わった事、怒り爆発です。
・こどもを他の赤ちゃんと一緒の部屋におかなかった。
・初診時のこと、言葉や態度は気にならないが、小児科の個人に対するプライバシー感がうすい。(個別で診断説明をしてほしい)
・看護婦さんたちは訓練の事などを教えてくださったが、産婦人科、小児科の先生からは、一度もなく、こちらから聞くと、「訓練など一生懸命頑張っても大して変わらない。大学に行っている子がいると聞いたが、どの程度の大学か分からない」といわれ、「あきらめた方が良い」と言われた。
・歩き始めるのが遅いので訓練を受けようと受診したら、「ほっといても歩くようになるから、来ることないでしょ」と子どもの様子も見ず、めんどくさそうに言われた。
・看護婦さんがよそよそしい態度になった。 哺乳力が弱かったのですが、母乳のマッサージをするだけで“搾乳してください”って感じで、何も指導もなく、無視状態でした。
・親の心のケアがほしい
・親の会の存在を知るまでに、産院→日赤→愛育→県療育センタ−と3ヶ月もかかってしまい、産婦人科医がダイレクトに教えてくれば、もっと早く立ち直れたのではと悔やまれます。知っている情報は正確に伝えて欲しかった、また、医師は知っているべきでしょう。
・「早期療育は勧めていないなー(紹介していないな)」みたいなこと。早期療育についてもっと小児科医は考えてほしい。
・先生がつめたくあたった。ダウン症が生まれる事は悪い事のように言った。
・10ヶ月検診の時保健所で停留睾丸といわれ、担当の先生に言うと、「あーそれね。前から知ていたよ。お母さん、この子結婚しますか?」と言われ、「エー結婚しないでしょう」と言われ、「だからそんなに気にすることない」と言われた。
・モザイク型と転座型とはどう違うのか担当の医師に聞きたくて足を運んだのに、あやふやな返事で、その場その日はいそがしいとかで対応してもらえず聞くことができず(自分の娘はどちらの方なのか知りたかったのに)とても残念でした。未だに聞かずじまいのままです。
・ダウン症についてあまりにも否定的なことばかり言う看護婦さんがいた。
・個人病院の事ですが、看護婦さん同士で、こそこそと話をしているのがつらかった。
*言ってほしくない言葉
・一生歩けない。言葉もあまりでない。・・才までしか生きられない。
・かわいそう、残念やったね。という悲観的な言葉。
・親は一所懸命頑張っているのに、「もっと手をかけてあげなさい」とか「もっと一所懸命になって下さい」とか言って欲しくないです。
・「知能指数が70以上にはなりません。」と言ったような否定的な言葉。うちの子を見ていて思うのですが、覚えることは人より遅いかもしれないけれど、少しずつ出来ることが増えています。
・分娩直後にとりあげてくれた医師が「ご主人の鼻は低いか」と尋ね、「おかしいなあ」と子どもの顔つきについて口に出したため、何かまずい分娩をしてしまったのかという気になり、直後からもう不安でたまらず喜びはまったくなかった→無神経な言動
・看護婦の1人が、「障害を持つ子をもつことは夫婦にとって最大の不幸だ」と言われたこと。
・告知の前に、病院の看護婦が家族に「顔つきで気になることがある」と言われ、はっきりした言い方でなかったので、ずっと心配をしていた。あいまいな言い方は、心配を大きくするのでやめた方がいい。
・産んだ病院から紹介された整形外科で、「この子は障害児だから」「遅れてるから」「知能も低い」と言われた。分かっているが、繰り返し言われたくない。
・もっとひどい障害をもった子供たちはいるんだから、まだダウン症はいい方だという言い方。(はげましだったのかもしれないが、その時点ではショックを受けているので)
14.子どもさんの障害についてすぐ祖父母や親戚に話しましたか? 
 図11
 子供の障害について、祖父母にすぐに話したという人が100人(72%)、しばらくしてという人が31人(22%)であった。
京都のアンケ−トでは、すぐに話したという人の割合が74%であり、ほぼ同様な結果であった。北陸は封建的な家族制度が、まだ残っているところが多く、少ないのではないかと予測していたが、今回の対象者では地域的な差は認められなかった。
*「すぐに話した」という人の理由
・自分のまわりの人達には、知ってもらった方が自分が楽になると思ったから。友達には泣きながら話をして、一緒に泣いて、それからは、ずっといろいろと力をかしてくれて、本当にありがたいと思います。
・子供を育てる上で必要不可欠だと思います。子供にかかわりが大きい近親者には正しい理解力と協力が必要。
・かくすことのできない性格ですし、どのみちわかることと思ったので又話しておかないと子育てがしにくいと思うし、何よりこのダウン症の子に失礼と思いました。
・障害をもって生まれてきたことは周りの人への負担(世間からの負い目を感じている)を考えると言いづらい。でも話すと楽になった。
・どのように話したらいいのか、大変迷いましたが、家の中にいて隠すように育てることはしたくなかったので、家族を集め、思いを話した。その時家内はまだ病室でした。
・両親、兄弟に話すのは当然の事なのですぐ話した。
・夫の両親・・・すぐに話した。妻の両親・・・しばらくして。夫の両親には黙っていてもわかるので、すぐに話して、たぶん遅れるだろうと簡単に説明した。
・分でためることが出来ず、両親に話したようです。 妻は自分を責め、嫁ぎ先の環境を責めるなどの気持ちから、両親よりも友達に話した。
・夫の両親は親戚や近所の人には話していない・・・(私はみんなに知ってほしい)別に話す事でもないと言います。話していない人もいる。ダウン症だとは言っていない。知的障害だと言っている。私の父は悪い風にしか考えられない神経質な人なので、言っていない。人の不幸をおもしろおかしく人には言いふらしている親戚にも言えない。今は自分達が不幸だとは思わないが、あることないこと想像をまじえて人に伝わるのが目に見えていて、言いたくない。
*「しばらくして話した」という人の理由
・まずは出産を喜んで欲しかった。かわいいと思った後で、話さないと初めから障害をもった子という目でみられそうだから。
・なかなか言えなかった。
・私自身立ち直ってからでないと。口にするのが悲しかったし、またショックを受けた祖父母に悲しい思いをさせるだけで、手だてがみつからないのは話をする理由にはならない。
・「ダウン症」というものを受け入れられるように努力をし、「ダウン症」という病気をもっと知ったうえで時間をとりました。
・世間体ということをすぐ思った。
・祖父母の精神的ショックを考えて何気なく知らせて、具体的に除々に分りやすく言った。廻りの人達にありのままのこの子をみてもらって「かわいいね。」と思ってもらえるようになってから、話しました。(1年以上たってからです。)
*「その他」の人の理由
・夫の話す必要はない、(心配かける事はない)ということで。告知を受ける時、妻の両親も同席した。きっと主人が、私のことを考えての事だと思う。小2になった今もはっきりした障害がわかる訳でもなく「何かおかしい」と思われるくらいの障害なので心配させたくないから話していない。
15.こどもさんに障害があるとわかったショックから立ち直るきっかけになったものはありましたか?
 図12
立ち直るきっかけになったものは、「ある」という人は89人(67%)、「ない」40人(30%)であった。
その内容は、同じ障害をもつお母さん(ダウン症の親、本人に会ったこと、親の会の存在、家族(夫の言葉、など)、我が子の成長する姿などが多かったが、専門書や、宗教など、様々なものがきっかけとなっていた。
・生後1年間保健所でみてもらった先生に最後に診察してもらった時「子育てはどんな子でも楽しいものなんだよ。子どもの成長は楽しいよ」の言葉。
・夫の一言。「どんなかたちで生まれてきても自分達の大切な子どもであるのには変わりはない」
・近所の人が必ず子供に声をかけて下さったこと。
・時間が解決してくれました。
・子供の元気な姿(成長)、子供に体力をつけるためうつぶせの運動をさせると頭を持ち上げ必死に頑張っていた。その力強さに悲しんでばかりでなく、いっしょに前向きに頑張ろうと思った。
・ダウン症児の療育についての何冊かの本
・1400gの極めて体重の軽い未熟児で生まれました。その子から、生命力のものすごさを見ているうちに親としての確固たる態度が必要であると思いその成長が立ち直るきっかけになったと思います。
・親の会の存在。自分だけではない!!
・今現在もショックは続いています。繰り返し考えさせられますので。ただそれはやわらげられています。保育園、小学校、医療福祉関係の皆さん、そして私の職場の方、身内・・・・いろんな形でかえって本当のことを考えられて幸せかもしれません。
・宗教
・たまたま書店で[神様がくれたあかんぼう]をみつけて読んだ時
・子供(本人)がとっても明るくかわいい、友人などの理解に助けられた
・保育園を障害者専門の所に行ったため同じ病気の子供達や父母、先生が同じ障害とたたかっている人がいるということで、また勉強できたことで立ち直ることができたと思う。
・リハビリの先生に日常的なアドバイスをもらい母の心の面まで相談できた事。
・友人の励まし、インターネットで取り寄せてくれたダウン症に関する情報。同じダウン症の子供を持つお母さんとの交流など。
・出産後、家に訪問してこられた、元産院の保健婦の人が、発達を見て、「こんなもんですよお!普通の子と変わりませんよ、愛情をもって育てれば、ちゃんと成長しますよ!」と言ってくださった時、少し元気になることができた。
・家族です。一つ上の長男や同居していた両親が励ましてくれました。
・主人との話し合い、支え合い。何より障害があっても我が子が可愛くて仕方がなかった。
・すぐ立ち直れました。でもすぐ落ち込む。
・同級生にも同じ子がいた為心強かった。人と話していると「この子は天使だよ」「ちゃんと育ててくれる様な親の所にこんな子が生まれてくるんだよ」と言われ考え直した。
・義兄が養護学校(小学校)で先生をしていたので、本人、親戚に正しく障害のことについて、説明してくれたので立ち直ることが出来た。
・主人の母が、すんなりと受け止めて励ましてくれた。主人のいとこの子供にも、ダウン症児がいることを知って、わりと身近に多くいることを実感として感じた。その子は、とても元気で明るい子だったため、安心した。
・十二指腸の手術をしていただいた小児外科医の先生の話や、カウンセラーの話で。また、地域の保健婦さんが力になって下さいました。
・娘を取り上げてくれた助産婦さんが細かく親切に対応してくれ、話を聞いてもらえたことで少しずつ受け入れられることができた。・NICUでの娘の元気な姿と生きようとする娘の生命力に感動したから。
・自閉傾向の子供は、生まれてすぐには判断できない病気。自分で本を読みもしかしたらと思ったころから、ショック、なやみ、悲しみ、心配etcが消えず何年も苦しんだ。病院、整肢学園(療育センター)へ通いながら先生方に指導してもらい、少しづつ親の気持ち子供とも落ち着いていった。まだまだ、立ち直ったとは言えないが、何よりも子供のそれなりの成長と親の開き直りでしょうか。療育センターの泉先生からは、子供より親のケアをしてもらい随分気を落ち着けられました。感謝しています。
 ・ショックからから立ち直る」?立ち直ったかどうかは、まだ分からない。支えになったのはパソコン通信で知り合ったダウン症の子供を育てている親の方々。障害のある子供を持つ友人。
・入院中、障害のある子とそのお母さん達との出会い。誰にも話せなかった心の内を話すことができたこと。
16.その他の意見何でも(子供さんについての感想、医師へいいたい こと等…)
*子供さんへの感想
・子供に親にしてもらっているのだと日々感じます。
・現在保育園や訓練施設に通い、多くの人にかかわってもらい、よい刺激をたくさん受けています。特に保育園の先生方はダウン症を理解した上で子供に積極的に働きかけたりあたたかく見守ってくれたりしています。どんなに小さな歩みでもしっかりと見て下さるのでとても励まされます。この子の親になれて幸せだなあと思うことが多い今日この頃です。
・生まれてきてくれてありがとう。君が生まれてきてくれて本当にうれしいよ。いつまでも笑顔の君でいられるようにパパもママもがんばるよ。
・今は高校生になった我が家の息子。生まれてから16年も経ったんだな・・・と昔のアルバムをみてしみじみ思った。いっちょ前にヒゲもはえて声も低い「あんちゃん」になった・・。昔を振返れば、子育てに一生懸命でどうしたら成長するか心配で、子育てを楽しむゆとりがなかったと思う。先般も書いたが医師は20歳までしか生きられないと私と夫に宣告した。毎日毎日涙々で落込んでいた日々。
どうか医者になる人、なった人に申しあげたい。『障害のこと、もっと勉強しなさいよ!』いまもとってもかわいい息子、いつもニコニコしていて私たちの大事な宝物です。
・ダウン症の子はとってもかわいくて今はこの子がいてくれて本当によかったと思っています。障害があることは悲しいけれど、そのかわり素直なやさしい心を持っている。ずっと一緒にいたいです。
・今は障害のある人にも平等な生活・教育をというようになってきていますが、今後ますます住み易く、社会にも進出していけるような環境にできるように私もがんばりたいと思います。
・本人の友達が「TちゃんはTちゃんだね。」と言っていました。妹が「お兄ちゃんは、病気なんていったら可愛そう、お兄ちゃんはお兄ちゃん」と言ってました。
・今は大変健康で毎日自分で地域の中学校へ通っています。12年前のショックがうその様です。でも成人してからの問題もあるので、その事の不安が少し心配です。
・「就学」でとても辛い思いをした、将来どんな大人に育っていくのか?親が死んだ後どうやって1人で生きていくのか?とても不安
・今、遺伝子治療について色々な意見がありますが、生まれる前にわかるのならわかった方がいい。私だったら、おろしていたと思います。生まれる権利などときれい事を言ってもはじまらない。
・このようなアンケートを書く機会がたびたびありますが、何の役にも立たないと思います。告知が、とか、病院の体制とか、そういうことより、どんな子供が生まれてもその子との関係は変わりません。でも、子供も親を選べるわけではありませんから。死にかけて生まれてきた我が子です。絶望感もありましたが、本当に生まれてきてくれてよかった。成長はゆっくりでもとてもおもしろい子に育ってます。
・もうすぐ一才を迎える息子はとてもたくましく育っています。ゆっくり育つ子と言われますが最近は日々の成長ぶりに目を見張るばかりです。ある友達に息子の事について話したとき、偶然に身近にダウン症という個性を持った子がいなかっただけで、どこの家庭にも生まれる可能性がある。むしろ身近にいなかったのが不思議だと言っていました。それを聞いて色んな人にダウン症という障害、息子について知ってもらいたいと思いました。
・最近、以前より多くダウン症・他いろいろな障害をもつ子がマスコミにとりあげられるようになりました。比較的好意的に上質に番組が作られていると思います。どんどんみんなに、知ってもらって地域の子として生きていきたいですね。
・夫がいまだに病気を受け止めていなくて、誤診でないかとか、今に普通の子になるんじゃないかと思っているフシがあって、歯がゆい思い。
・今は子供がかわいくて、かわいくて仕方ありません。家庭でみんなで育てていきたいです。
・老人福祉ばかりで、障害者(児)福祉への理解が足りないと思う。特に就労の場の確保など先々心配に思うことがある。
*医師、医療機関へ言いたいこと
・個人の眼科の先生に、こういう子は「視力をつけようとしても意味がない」というようなことを言われたときは悲しかったです。
・告知されてしばらくして、色々な会とか医療とか色々とおしえてほしかった、私の場合は手さぐりで色々とさがした
・医者は病名を告げるのが仕事ではないはず。病気も心も良くしていくのが医者ではないのか。西洋医学も東洋医学でも必ず治る方法がある。治る方法や少しでも良くなる方法があるのなら、全て病院にそろえておいてほしい。それが無理なら横やたてや他方面のつながりを持ち、患者にあたってほしい。ガンだけが不治の病じゃないんだ!!
・金沢の訓練施設をもっとくわしく知らせてほしい。
・子供をト−タル的にみてくれる医師(主治医)がいたらいいな。小児科、耳鼻科、循環器科、etc・・・専門分野もいいけれど・・。
・「親の会の存在がある」といいつつ「親御さん(私達のことですが)がおちついてから、お教えします」と医師に言われたことがありますが、告知直後が一番不安定で支えが欲しい時期ですので、告知と同時に教えてもらった方がどれだけ精神的に救われただろうか、ととても残念に思います。
・今はホ-ムペ-ジなど開いていますが私たちのころは昔のイメ−ジ、知識(医者も)だけしかありませんでした。開かれた情報があれば、立ち直ること早いと思います。
・子供の障害がわかり訓練について知りたく不満や不安もありいろいろ病院をまわったが県外に行っても「今はどこの病院にいってるか?」きかれ「〇〇病院です」と答えると「あそこの〇〇の先生は私の大学の先輩だから大丈夫ですよ」などと言われこちら側の気持ちなど全く無視されてしまった。病院にいくと、とにかく医者同志のつながり派閥?のようなものがあり患者とは関係ないのにそれにふりまわされ「全く何が大切なのか!」と腹が立つことが何度かあった。
・医師のネットワ−クを。専門でない分野なら、他の専門の医師と連係して個人個人の心のケア障害の知識etcを話してほしかった。
・てんかん発作もあり、大学病院にかかっていたのですが、研修医さんなど、診察のたびに多くの人が周りにいたり、教授、助教授クラスになると出張が多く、とても不満がつのり、何度か病院を換えました。安心して信頼できる先生に会うことがむずかしい。
・私の場合、県立中央病院で出産し、妊娠中の担当医がフォーラムの委員長である、朝本先生であったので、適切な情報、告知をしていただけた事はめぐまれていたと思います。情報が不足している事が、非常に不安にさせるので出産後の早い時期にいろいろな情報を得られるような状況になればよいなと考えています。
・出産直後から先生の顔がとても深刻で、「何か良くない事がおこったのでは・・・」とものすごく不安でした。(告知前)今思えばダウン症の子であろうと、無事生まれたときにはおめでたい事だと思うので、もっと安心させて欲しかったです。
・当時は親の会の存在などわからなかった。少なくとも小児科医は親の会の存在を勉強していただきたい。
・産婦人科の医師は告知するという意味の重さを充分解って言葉を吟味しながら、使ってもらいたいし、障害を家族で乗り越えていける希望や勇気を与えていただきたい。常に新しい情報を得て、決して古い考え(例えば寿命が短いなど)誤った情報は伝えないで欲しい。
・前に住んでいた町の保健婦さんが、3ヶ月のうちの子を抱いて「わたしの娘に、こんな子が生まれたらどうしよう」と言った言葉が、今まで出会った人々の中で最低の言葉でした。その後、保健婦さんからいろいろと連絡があっても、その人には何も相談はしませんでした。他に頼れるお医者さんや看護婦さんがいて下さったので、何も心配せず、小学年生になりました。
・療育手帳、障害者児童手当、医療の払い戻しなど、子供によって該当したりしなかったりしているのを、たとえば小学校までは一律にするとかして欲しいです。障害児が生まれた時の、手続きすればいいこと(療育手帳などの)保険に入れるかどうかなどの事が、すぐ分かるパンフレットみたい物が在ればいいと思う。
・生まれたときはすごくショックで可愛くないと思ったりもしましたが、今は生まれてきて本当に良かったと思います。医師でもダウン症について、知らない(教科書に載っていることしか)人がたくさんおいでると思います。ダウン症の子はこんなにすばらしい子なんだと言うことをたくさん人に知って欲しいです。
・医師としても告知は辛いものだと思う。医師から私だけが知らされ、一ヶ月後妻に話した時のことは一生忘れられないだろう。私はこの企画に反対ではない。しかし、患者の側から医師の側へ「こうするべき」といった患者の側だけのべき論を押しつけるのはいかがだろうか。言葉の選び方や言いまわしのメソッドではなく、いかに患者の側の気持ちに入っていけるかを医師の立場で検討すべきではないか?
*****アンケ−トを実施して(診断告知アンケ−ト担当者からの思い)******
「できっこないでしょう−!」と叫んだダウン症フォ−ラムが、それでも金沢で開催されることになり、思ってもみなかった人脈が広がっていくのを見て考えた。「何かをしなくては」……。文句だけ言って、ぐちってだけいるのは嫌だった。
おしゃべりは充分ストレス解消にはなったけれど、事態は一向に変わらない。私の周りの人達とは話ができるけど、みんなそうなの?本当はどうなの?どんな風に変わればいいの?
医師と医療従事者の方々に返答してもらうことを前提にした告知のアンケ−トをしてみたかった。返事が返ってこないなら、それもまた現実。それを知りたかった。そんな思いで始めました。
返送されてきたアンケ−トを読んでみて、いろんなことを感じました。みんないろんな状況の中で生きていて、ステレオタイプなことは言えません。共感したり、疑問に思ったり、やっぱりいろいろいろあるのが現実です。その中でも気になるのは白いアンケ−ト用紙。ショックから立ち直っているのかしら、つらいのかしら、彼女を支えて共に生きてくれる人が身近にいてくれるのかしら。
何度も何度もその用紙に手が伸びてしまいます。やっぱり何度も考えてしまいます。本当はその人のところへ走って行ってお話してみたかった。くだらないおしゃべりでもいいから、してみたかったです。(余計なお節介…そう、何だか、アンケ−ト用紙を通して、たくさんの人達とお話したような気がします。こんな親の思いをどれだけ医療関係の方々届けられるか、受けとめてもらえるのか…。これからの宿題も山積みですね。
なかなか変わらないのが現実。でも何もしなかったら絶対変わらないから無駄でもやってみる。元気のあるうちは何度でも。
親が死んだ後、どんな社会を子供に残していけるのか。市井の片隅でジタバタあがいているいる一母親のささやかな行動です。
   (実行委員・あのねの会の親・高野)
今回のアンケ−トで、医者や看護婦さんの何気ない一言や態度に傷ついたという答えがたくさんあった。障害を伝える側の難しさを今なら考えることも出来るが、それでも伝える障害について昔のままの知識だけではなく、せめて、最新の専門書に目を通すぐらいのことをしてから伝えて頂けたらなあと願っています。
   (実行委員・あのねの会の親・中川
ダウン症フォ−ラムが金沢で開催されるにあたり、金沢市のあのねの会の親の方達と実行委員会と一緒に、診断告知のアンケ−トを行おうということになりました。医療従事者として(保健婦として)、診断告知の場面に、これまで関わったことのある私も、この診断告知アンケ−トチ−ムに参加させて頂きたいと希望しました。平成8年に、京都の親の会のお母さん達がすばらしいアンケ−ト調査の結果を報告されており、北陸でもできたら参考にさせて頂いてできたらいいね、とお母さん達と話し合いました。
北陸のお母さん、お父さん達が声を出すいい機会なのだ、私達医療従事者が本当にその声をお聴きするいい機会なのだ、この機会をのがしてはいけないという思いがありました。
石川県だけでなく、富山や福井県の親の会の皆さんにも広くご協力頂いて、本当に多くの方々のご協力のもとに、このアンケ−トを実施することができました。本当にありがとうございました。日々たくさん送られてくるアンケ−トの言葉はずっしりと胸に響いて、生の声の迫力をしみじみ感じました。病院への不満はどのようなところにあるのか、満足された対応というのはどんな対応だったのか、両親の気持はどんな気持ちなのか、知らなければならない…。
「診断告知とは・・」診断名を告げることだけではない、どの様に話すかという方法でもない、両親が受けたショック、不安をどのように受けとめて、支援するのか…。支援できる自分であるのか?私自身が、本当に今回のアンケ−トに参加させて頂いて、学ばせてもらったことが多くありました。また、「診断告知とは…」について、私がお母さん達とこれからできること…、私自身が自主的な学習を続けていくことなど、これからの課題も多く頂きました。
ここまでのまとめは、私達の思いのまだ半分なので、この結果についての感想をフォ−ラムに参加された医療従事者や将来医療従事者になるという学生さん達に感想を頂いて、それでひとつのまとめができたらいいなと思っています。皆さんからの貴重な言葉・思いを無駄にしないように、そのままの言葉を文集のような形にしたいと考えています。みなさん、少し気長に待っていて下さい。
  (実行委員・金沢医大保健婦・高瀬)

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